奈良・明日香村で金銅仏の右手出土!
 明日香村教育委員会は、古代の渡来系氏族、東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺とされる奈良県明日香村の檜隈(ひのくま)寺跡(7〜15世紀)で金銅製の仏像の右手が出土したと発表した。金メッキが鮮やかに残っており、製作技法から7世紀後半から8世紀のものとみられる。見つかったのは、手首から先の部分で、長さ2.3センチ、幅1センチ。顔や胴体などは出土していないが、立像だった場合の高さは推定20〜25センチ。

桜井で巨大柱穴持つ建物跡を発見!阿倍氏の邸宅か
 奈良県桜井市の安倍寺遺跡で7世紀末〜8世紀初めの巨大な柱穴(約1.2m四方)を持つ建物跡が見つかった。周辺は古代の有力豪族・阿倍氏の本拠地とされ、調査した桜井市教育委員会「豪族の邸宅などにふさわしい規模で、阿倍氏に関連する中心的な建物の可能性が高い」としている。発掘現場は阿倍氏の氏寺で知られる安倍寺跡の近く。柱穴は約3m間隔で5つ並んでいた。建物の規模は東西12m以上と推定される大きなもの。
 阿倍氏は蘇我氏や物部氏に匹敵する勢力を誇り、大化の改新(645年)で左大臣になった阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍寺を創建したとされる。

島庄遺跡で石組み溝跡を発見 蘇我馬子邸宅跡?

 奈良県明日香村教育委員会は、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子(生年不明〜626年)の邸宅跡があったとされる明日香村の島庄遺跡で7世紀の石組み溝の跡を発見したと発表した。谷を造成した形跡もあり、同村教委は谷にも建物やため池などがあった−とみている。調査地は馬子の墓との説が有力な石舞台古墳の北約60メートル。溝跡は幅約3.5メートルで、護岸のため人頭大の川原石を積み上げてあった。内部の埋土から7世紀前半から後半の土器片が見つかっている。関係者は「谷の水源から飛鳥に水を供給する溝ではないか。防火や下水道にも利用したかも知れない」と話している。

キトラ古墳から出土した大刀を復元し公開
 奈良文化財研究所は、極彩色壁画で知られる奈良県明日香村のキトラ古墳から出土した副葬品の大刀を復元し、報道陣に4月23日公開した。長さ約90センチ、幅4.4センチ、重さ672グラム。鞘(さや)はヒノキ製で、束(つか)にサメ皮を巻いた。高松塚古墳などの華美な唐風の大刀とは違うが、洗練された美しさがある。
橿原・新堂遺跡で鎌倉時代の木製品が出土
 奈良県橿原市の新堂遺跡(縄文〜室町時代)で、鎌倉時代の武士をリアルに表現した長さ9センチ、直径1.4センチの珍しい木製品が出土した。侍烏帽子(さむらいえぼし)とも呼ばれる烏帽子を被り、ひげをたくわえていた。人形か、人を模したまじないや厄払いの道具である形代(かたしろ)の可能性があるという。橿原市教育委員会の発掘調査で、鎌倉時代前半に埋まった河川跡から見つかった。

高松塚壁画 関西大で陶板で再現

 高松塚(奈良県明日香村)の極彩色壁画を陶板に焼き付け原寸大で精密に復元した「高松塚古墳壁画再現展示室」が大阪府吹田市の関西大学に完成し、披露された。「飛鳥美人」として知られる女子群像などが発見直後の鮮やかな色彩で再現された。3月18日から一般公開される。


平城京外京跡で「条坊道路の交差点」発見

 元興寺文化財研究所は、奈良市の平城京跡(8世紀)で京の東側にある張り出し部「外京(げきょう)」で、奈良時代の条坊(碁盤の目状の街区)道路の交差点跡を見つけたと発表した。この交差点跡の路面の幅は4〜5メートル。両脇に幅1〜2メートルの側溝があった。平安京などへ遷都した後も、10世紀前半まで道路として使われていたとみられる。
外京は現在の奈良市中心部。奈良時代の遺構は、後の時代にほとんど壊され、残っていることは非常に珍しいという。外京は東西1.6キロ、南北2.1キロ。

◆勝山古墳と東田大塚古墳は「鍵穴形」と判明

奈良県立橿原考古学研究所と桜井市教育委員会は、最古級の前方後円墳群とされる纏向(まきむく)古墳群(奈良県桜井市)の勝山古墳(3世紀半ば〜同後半)と東田(ひがいだ)大塚古墳(3世紀後半)が、前方後円墳の典型的な形である鍵穴形と分かったと発表した。これまでは両古墳とも同じ古墳群でみられる前方部が短い「纏向型」とされていた。同古墳群には卑弥呼の墓との見方がある鍵穴形の箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半)があり、古墳出現期を探る手がかりになるとみられる。今回の発掘で、勝山古墳の全長がこれまでの推定より5メートル以上長い115メートル以上、東田大塚古墳も12メートル以上長い120メートル以上であることも分かった。
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